アイテム
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逓信省用地の境界石 逓信省は、かつて交通・通信・電気を管轄していた中央省庁である。1885年から1943年までと、1946年から1949年まで存在した。日本郵便やNTTの前身にあたる。 名古屋花壇の廃業後、その敷地は逓信省管轄下の中村郵便局の敷地となった。 この境界石は、逓信省の敷地の境を示すものとして、中村郵便局が設置された頃に置かれた可能性がある。 -
素盞男神社 素盞男尊(スサノオノミコト)を祭神とする。中村区HPによれば、1774年(安永3年)に創建され、1933年に当地に遷座したとされる。 社地は旧中村遊郭の西北角にあり、遊郭開設当初(1923年)には県立病院が建っていた場所である。 -
絵はがき (名古屋・中村公園)清正公銅像 加藤清正の銅像。 1918~1932年ごろにかけて流通したと思われる妙行寺の写真が掲載された絵はがきでは、正面の門からこの銅像の一部が見えており、当時から現在まで設置場所に大きな変化はなく、妙行寺敷地内にあったと考えられる。 現在の甲冑姿とは異なり、この絵はがきの加藤清正は衣冠束帯姿である。台座には「三百年記念」と刻まれているが、この姿の銅像がいつ造られ、いつまで残っていたか、その正確な年代は定かでない。 現在の銅像は昭和53(1960)年に清正公三百五十遠忌の際建てられたものであり、絵はがきが撮影された当時の台座はその足元に置かれている。 -
絵はがき (名古屋・中村公園)大正天皇御手植之松 中村公園内に植えられている松の木を撮影した写真が使われた絵はがき。この松は1910年(明治43)に当時親王であった大正天皇が植えたものである。 現在は絵葉書が撮影された当時のような柵は取り除かれ、説明書きがついた看板を設置している。 -
絵はがき (名古屋・中村公園)妙行寺 中村公園に隣接する妙行寺を撮影した絵はがき。門の向こうには加藤清正の像が建てられている。 絵はがき上部には、 「FAMOUS PLACES IN NAGOYA NAKAMURAKOEN」 とも記されている。 妙行寺は、山号寺号を正悦山妙行寺とする日蓮宗の寺院である。慶長15(1610)年に加藤清正によって現在の清正生誕の地である中村公園付近に移され、その先祖の菩提を弔うために建立された。現存する清正像は、昭和35(1960)年清正公三百五十遠忌の際に造られたもので、台座は異なるが、絵はがきとほとんど同じ場所にある。 -
絵はがき (尾張中村公園)記念館 加藤清正没後300年を記念して1910(明治43)年に県によって建てられた、中村公園記念館の写真が使用された絵はがき。 同年、後に大正天皇となる皇太子が立ち寄った際には迎賓館として機能し、1954(昭和29)~1967(昭和42)年の間は結婚式場、そして近年は集会所として使用されていた。 2015(平成27)年に耐震・改修工事が施され、現在はふたたび集会所としての機能を有している。普段は門が閉じられているため、建物を正面から見ることはできない。 -
絵はがき (中村名所) 豊太公御手植ノ柊 名古屋市中村公園内にある豊臣秀吉が植えたとされる柊を写した画像が載った絵はがき。現在の柊は何代目かのものである。秀吉が自ら植えたとされる柊で作られた茶杓は常泉寺の寺宝となっている。柊の向かって左側にある菱形の石碑には南無妙法蓮華経と刻まれていて現在も残っている。また、柊の向かって右側奥には当時の豊臣秀吉像と豊公産湯の井が写っている。石製の柵の内部に設置されている立て看板は現在残っていない。 -
絵はがき (中村名所)豊公淸正公ノ寳物 常泉寺が所有する豊臣秀吉および加藤清正にまつわる宝物の写真を載せた絵はがき。 掛け軸や茶釜、清正公の背旗、羽織、硯などが載せられている。常泉寺は1983(昭和58)年に放火の被害に見舞われ、建物とともにこの絵はがきにある宝物も一部消失した。 -
絵はがき (名古屋名所)中村公園豊公産湯の井 名古屋市の中村公園内にある豊臣秀吉の像と産湯の井をともに収めた写真が使われた絵はがき。写っている秀吉像は戦時中に供出されてしまったため、現在公園内に設置されている像とは別物である。産湯の井を囲む石製と思われる柵も現在は残っていない。 -
蕎麦 伊とう かつての中村遊郭にある蕎麦屋。店舗は、遊郭時代は牛若楼だった建物をリノベーションしており、名古屋市登録地域建造物(登録第52号、大正中期築)に指定されている。 料理は、自家製粉石臼手打ちそばと、旬の食材と、厳選された酒にこだわっていることを、ホームページでうたっている。 -
TSURUNOYA 中村遊郭時代の建物で現存するものの一つ。この建物で営業していた廓の屋号は、資料により、「鶴の家」「鶴乃家」「鶴廼家」と表記が異なる。 -
絵はがき 中村公園 名古屋市中村区にある中村公園内の瓢箪池で撮られた写真。写真は楕円形にトリミングされ、ハガキの下部に中村公園内にある名所についての説明が気がある。ほとりでは少女と思わしき二人組が池を眺めている。池の向こう岸には藤棚が設置され、下のベンチに座っている人影が確認できる。写真左側にはひさしにカブトビールと書かれた屋台のような物が見られる。左側には記念館に続く道と奥には建物が写っている。 -
弁財天 もともとこの地にあった遊里が池にまつられていた弁財天が、日本赤十字病院の開院にあたって移転した後も祀られているもの。現在の社殿は2012年に病棟の新築に合わせて新たに建てられたもの。 -
絵はがき (名古屋名所)中村公園 中村公園内にある瓢箪池のほとりから撮られた画像。写真の周りは黄色い枠で飾られている。写真中央には東屋が確認できるが現在は残っていない。 -
中村遊郭の範囲大須地区にあった旭郭の移転のため、名古屋土地株式会社が旭郭土地株式会社に土地を売却、1920年3月から土地造成がはじまり、1923年4月に中村遊郭が開業した。
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絵はがき 中村公園(名古屋名所) 中村公園の正門を正面から撮影したと思われる絵はがき。 左側には明治34年4月に造られた「中村公園」と刻まれた石柱(現存)、中央の道の両側には街灯のようなものが上部についた門柱(現存せず)、右側には立て看板がある。写真奥には豊国神社の建物が見える。 通信面の切手欄にあたる部分には、中心に「KIKKA」という文字が書かれ、花をモチーフにしたと思われる絵が描かれている。 -
絵はがき 大名古屋美観(豊国神社) 豊国神社と、神社へ延びる道を正面から撮影した絵はがき。白黒で撮影後に着色が行われたと思われ、非常に色鮮やかな仕上がりが特徴的である。 はがき下部と右側には銀色の線で装飾が施されており、 「大名古屋美観・・・老松歴史を語るところ 豊國神社に秀吉公を祀る」 と記されている。 現在は橋の床部分が木製からコンクリート製に改築されているものの、現地でも概ね同様の光景を目にすることができる。 -
中村電気軌道の路線(1926年の開業当時)中村の開発事業を行っていた名古屋土地が1913年に開業した軌道(路面電車)である。起点は名古屋駅西側の明治橋、終点は中村公園の手前であった。 1926年に名古屋土地から分社化されて、中村電気軌道となる。1936年に名古屋市に買収されて、名古屋市電の中村線となった。市電化後、笹島町で既存市電網との接続、大鳥居から中村公園まで路線の撤去(後に西方の稲葉地町へ延伸)などが行われたが、1972年に廃止された。
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絵はがき 中村公園内豊公銅像 中村公園に隣接する常泉寺で撮影された絵はがき。豊臣秀吉像と産湯の井戸が共に写っている。 ここに写っている銅像は1898(明治31)年に豊臣秀吉公没三百年記念事業の一環で造られたもので、その後太平洋戦争時に供出の対象となった。 現在の豊臣秀吉像は1988年(昭和63年)に再建されたものであり、絵はがきのものとは台座も異なっている。 はがき絵柄面の下部には、 「名古屋驛より西方約一里電車バスの便あり数分にて達す 明治34年史蹟顯彰の目的を以て純日本式公園となる尙園内には豊公産湯の井、御手柊、豊公誕生の地等あり、又此附近に加藤清正も出生す」 と書かれている。 -
名古屋花壇(中村温泉パラダイス)の敷地名古屋花壇(中村温泉パラダイス)は、中村地区に建設された娯楽施設。1928年に開園したが、10年足らずで閉園し、跡地は中村郵便局や中村区役所の仮庁舎として使用された。
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名驛西郊 (名古屋花壇)場内子供自動車 名古屋市中村区にあったレジャー施設『名古屋花壇』の設備の一つである子供自動車の画像。写真の手前に自動車を走らせるコースが設置され、中で遊ぶ子供たちの様子がわかる。コース真ん中と名古屋花壇建物にそれぞれ違う旗が建てられているがなんの旗かは不明。詰襟に学生ぼうを被った少年のグループが見られ、当時の子供達の様子がわかる。


