中村公園と豊臣秀吉ゆかりの史跡

明治16年(1883)3月25日、愛知県令国貞廉平は、愛知郡上中村戸長木村喜代二をはじめとした地元の人々の案内の案内により、同村字木下屋敷にある豊臣秀吉の出生地と言われていた竹藪を視察し、「豊公誕生之地」の標柱を建設した。そして、地元有志と県が一体となり、豊臣秀吉を祀る神社を建立し、顕彰することを約束した。地元の人々は同年7月に県に豊国神社創建を出願し、翌月その願は聞き届けられた。

明治18年(1885)1月18日、豊国神社正殿が完成したが、その後建設は一時中断した。明治30年(1897)、豊臣秀吉三百年祭にあたって、愛知県選出代議士や名古屋市長が、京都の豊臣墓所の整備に合わせて出生地の顕彰も行うことを力説、地元選出の県議会議員であった吉田高朗が中村旧跡保存会を設立し、明治34年(1901)に県会に県営事業とすることを提案、決議され、同年に県の公園としての中村公園が開設された(佐藤)。

出典:横地清『中村区の歴史』愛知県郷土資料刊行会、1983年

中村公園正門

中村公園の入り口付近には、裏に「明治三十六年四月 愛知縣」と刻まれた、公園名を示す碑が建てられている。中村公園は明治三十五年に愛知県の管轄する公園として整備されたため、この石碑はそのことを受けて県により造られた記念碑であると考えられる。絵はがき内では写真左に当該石碑が確認できるが、同じものが現在も公園入口左手に残されている。

現在では正門に石灯篭と鳥居が建てられ、豊国神社へと続く道へ架けられた橋はその床が木製からコンクリート製に改築されているなど一部変化がみられるものの、現地では今も当時の面影を感じさせる景色を目にすることができる。

出典:名古屋市役所『名古屋の公園』名古屋市、1943年

瓢箪池

愛知県中村は、古くから豊臣秀吉の生誕地として伝えられてきた。その地に豊国神社が創建されたことが、この一帯の整備の始まりとされている。のちに神社周辺の土地が県へ寄付され、公園として整備されることとなった。

現在の中村公園には、太閤池・関白池・瓢箪池など複数の池が設けられているが、創設当初に存在していたのは瓢箪池のみであった。掲載している画像は、その当時の瓢箪池を写したものである。写真中央奥の対岸には、現在も残る藤棚が確認でき、右手には公園内の記念館へと続く道がうっすらと見て取れる。

豊公誕生之地

豊国神社の東側には、豊臣秀吉が生まれたとされる場所が伝えられている。写真左側に写る「豊公誕生之地」と刻まれた記念碑は、1911年(明治44)に、当時の県知事・深野一三の直筆をもとに建立されたもので、現在も現地に残されている。

絵葉書が作られた当時には、柵で囲われていた生誕の地とされる一帯は竹林となっていたが、現在では円形に石が敷かれ、その中央に瓢箪形の石が据えられている。この敷石がされた時期についてはわかっていない。

敷石と瓢箪の石像に加えて2022年には、名古屋太閤ライオンズクラブの寄贈により、新たに金色の瓢箪型モニュメントが設置された。

参考

名古屋太閤ライオンズクラブ 「太閤秀吉功路最終地点モニュメント除幕式 令和4年5月15日」 https://www.lions-c.jp/taiko/kaihoushi/700.pdf (2026年2月9日最終閲覧) 

大正天皇御手植之松

1910年(明治43)に、大正天皇(当時は明宮嘉仁親王)が中村公園を行啓された際に植えられた松の木である。当時の絵はがきでは、この松は柵に囲まれて描かれているが、現在その柵は撤去され、代わりに低木が周囲を囲む形となっている。なお、柵が撤去された正確な時期は不明である。

また2025年には、大正天皇が中村公園を訪れた際に詠まれた漢詩を刻んだ詩碑が寄贈され、それにあわせて歴史銘板も新たに設置された。

参考 

「歴史銘板番外編 「大正天皇お手植えの松 皇太子中村公園へ行啓」」 名古屋市中村区 https://www.city.nagoya.jp/nakamura/miryoku/1020769/1020785/1020793.html#:~:text=銘板の概要,いただければと思います%E3%80%82

 (2026年2月9日最終閲覧)

記念館

中村公園記念館は、加藤清正没後300年を記念して1910(明治43)年に愛知県によって建てられた。
同年、後に大正天皇となる皇太子が立ち寄った際には迎賓館として使用され、その後は1954(昭和29)~1967(昭和42)年の間は結婚式場、そして近年は集会所として使用されていた。
2015(平成27)年に耐震・改修工事が施され、現在はふたたび集会所としての機能を有している。

正悦山妙行寺

中村公園に隣接する妙行寺は、山号・寺号を正悦山妙行寺とする日蓮宗の寺院である。

慶長15(1610)年に徳川家康より名古屋城築城の命をうけた加藤清正が、その余材と普請小屋を貰いうけ、現在の清正生誕の地である中村公園付近に寺を移すとともに、その先祖の菩提を弔うために再建された。その敷地内には加藤清正の銅像が建立されている。

 

加藤清正公銅像

現在の妙行寺にある加藤清正公銅像は鎧兜姿であるが、かつては衣冠束帯姿の像であった。

衣冠束帯姿の像は建立時期、撤去時期ともに不明であるが、1918~1932年ごろに流通したと思われる絵はがきではこの姿の銅像が確認されている。清正公銅像の足元にある台座には「三百年記念」と刻まれているが、これが生誕300年記念か、はたまた没後300年記念を指すかは不明である。

現在の銅像は昭和53(1960)年に清正公三百五十遠忌の際建てられたものであり、衣冠束帯姿の銅像を支えていた台座は、銅像の足元左側に移されている。像自体の設置場所は先代から変化しておらず、正面の山門からその姿をうかがうことができる。

豊臣秀吉像と豊公産湯の井

中村公園は古くから豊臣秀吉生誕の地として伝えられており、公園内の常泉寺境内には豊臣秀吉像と豊公産湯の井が所在している。

現在も絵はがきと同じ場所に両方とも設置されているが、絵はがきに写る1918年から1932年頃の秀吉像は、戦時中の金属供出によって失われており、現存する像とは別のものである。

また、豊公産湯の井は、都市開発に伴って一度地下水が枯渇したが、現在は再現され、蘇った。かつては絵はがきに見られるような石製の柵で囲まれて井戸の水に触れることはできなかったが、現在その柵は撤去され、井戸の水は寺の御手洗として用いられている。ただ、柵の一部であった「豊公御誕生井」と刻まれた石は、現在も設置されている。

豊太公御手植ノ柊

常泉寺境内には、豊臣秀吉が自ら植えたと伝えられる柊がある。ただし、現在植えられている柊は、当初のものではなく、代を重ねて受け継がれてきたものである。秀吉が植えたとされる柊の木を用いて作られた茶杓は、現在、常泉寺の寺宝として伝えられている。

写真左側に写る斜菱形のモニュメントには、「南無妙法蓮華経」と刻まれており、現在も同じ位置に残されている。また写真右側、柊の背後には、豊臣秀吉像と豊公産湯の井がうっすらと確認できる。

常泉寺の宝物

豊臣秀吉生誕の地に加藤清正および圓住院日誦上人によって創建された常泉寺には、敷地内に秀吉ゆかりの史跡をさまざま有するだけでなく、大阪城よりもたらされた御神体である豊太閤像をはじめとして、豊臣秀吉および加藤清正にまつわる宝物が数多く残されている。

ここに示した絵はがきには掛け軸や茶釜、清正公の背旗、羽織、硯などが載せられているが、これらは宝物のごく一部である。常泉寺は1983(昭和58)年に放火の被害に見舞われ、本堂とともにこの絵はがきにある宝物も一部消失した。